『百年の孤独』G・ガルシア=マルケス
ブエンディア家の物語で、主人公はおらず、100年にわたる一族の人々を描いています。
一族の始まりとなるホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランは、いとこの間柄でした。
古い集落で一緒に育った二人は、生まれたその日から結婚することを予想されていたはずなのに、結婚の意志を明らかにすると、親族にこぞって反対されました。
ウルスラの伯母が、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの伯父と結婚し、男の子を産んだのですが、豚のしっぽが生えていたため、それを恐れてのことだったのです。
それでも結婚した2人だったのですが、ウルスラの母が、生まれてくる子どもについて不吉な予言をし、ウルスラが妊娠しないよう、ズボンの前の部分に鉄のバックルを取り付け、その行為を拒否させていました。
しかし、しばらくすると村で噂が流れ、闘鶏で打ち負かした相手には嫌みを言われ、その相手を殺してしまいます。
そしてその夜、ウルスラ・イグアランに行為を強行します。
殺害の事件は、決闘ということで片付きましたが、殺した相手の姿が見えるようになり、2人は数名の友人と共に村を出て行きます。
そして新しい土地を開拓し、マコンドという村を作り上げ、そこで7世代にもなる一族の人物達とマコンドの村の繁栄から消滅までが描かれています。
以下ネタバレを含む感想です。
子どもに親と同じ名前を付けるため、何度も頭がパニックに。
家系図なしでは読み進めれず、読み終えるまでに中々の時間を要しました。
常に様々な出来事、運命が降りかかってくるので、とても濃厚な内容となっていました。
村を出て行くこととなったのは、豚のしっぽが生えた子どもが生まれてくるのを恐れたことに発端しており、豚のしっぽが生えてくる子どもが生まれるまでに100年。
タイトルの『百年の孤独』の孤独とは一体どういう意味なのでしょう。。。
豚のしっぽの生えた子が生まれた時、「この百年、愛によって生を授かった者はこれが初めてなので、これこそ、あらためて家計を創始し、忌むべき悪徳と宿命的な孤独をはらう運命をになった子のように思えた。」とありました。
愛があったと思っていた夫婦もいたのでそうだったんだと衝撃でした。
もっと早くに愛によって生まれた子がいたら、100年もかからずに、豚のしっぽの生えた子が生まれていたかもしれません。
ウルスラ・イグアランは100歳以上も生き、一族の成り行きをみていました。
5代目のホセ・アルカディオを神学校へ送り出す準備を進めていたころ、ウルスラ・イグアランは、マコンド建設以後の一家の歴史をかえりみて、子どもたちに抱いていたそれまでの考えを改めていました。
息子のアウレリャノ・ブエンディア大佐は、人を愛したことがなく、娘のアマランタがしたピエトロ・クレスピへの酷い仕打ちなどは、実は深い愛情と、どうにもならない恐れの葛藤の結果であり、実はこの世でもっとも心根のやさしい女だったなどと考えました。
屋敷に大人数で暮らしていたにも関わらず、実は皆、誰のことも理解できていないため、それぞれが孤独で同じような運命を背負っていたということでしょうか。
アウレリャノ・バビロニアと伯母であるアマランタ・ウルスラ、2人の愛によって生まれた、豚のしっぽをもつ子どもは間も無く亡くなり、アマランタ・ウルスラは出産の際に多量出血で亡くなっています。
孤独を背負った人たちの100年にもわたる歴史がここで打ち切られます。
そして何世代にも渡り、ジプシーのメルキアデスの羊皮紙を解読しようとしていたのですが、アウレリャノ・バビロニアが解読に成功します。
<この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる>
一族の100年もの孤独な運命は初めから予言されており、解読を終えた瞬間には全てが消失、人間の記憶からも消えるというラストの展開。
羊皮紙を解読し、何もかも理解していくシーンにゾクゾクしました。
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