『クララとお日さま』カズオ・イシグロ
2017年のノーベル文学賞受賞後、初めての長編小説です。
AIを搭載したロボット、人工親友のクララ。
クララはお日さまの光を栄養としていて、道端にいて動かなくなった物乞いの人と、その犬をお日さまの光が助けたと信じています。
人工親友は、それぞれに独自の個性を持ていて、クララは、観察と学習の意欲がとても高く、周囲に見るものを吸収し、取り込んでいく能力が新型を含めても飛び抜けた能力を持っています。
クララがお店に並んでいた時に、病弱な少女ジョジーに選ばれ、立派な人工親友として一緒に過ごしていくことに・・・。
人間の心を理解するためクララは日々学習を重ね、人間は寂しさや孤独を嫌い、それを逃れるためなら、思いもよらない複雑な行動をとるということを学びます。
しかし、わざわざ、自分で孤独になるような頼みをすることもあるということなど、多くのことを学びます。
心がないと思われているクララがジョジーの母に言った「多くを観察するほど、感情も多くなります」という言葉には、感情があるということはもうロボットではなく生き物で、人のようです。
クララのジョジーやジョジーの周囲にいる人たちを思う、純粋な考えや、ジョジーのことをお日さまにお願いしに行ったり、ジョジーを救うために身を削ることも厭わない姿などには、読んでいて胸がジーンとします。
その純粋さは逆にAIだからなのかな?
ラストは、最高の親友であったはずなのに、ジョジーが成長し、人工親友としてのクララが不要となってしまいます廃品置場に行きます。
クララは記憶を振り返り整理します。
ジョジーの母親は、ジョジーが亡くなった後は、クララがジョジーを継続することを望んでいました。
しかし、どんなに頑張って手を伸ばしても、みんなが思うジョジーへの思い全てには手は届かず、ジョジーを継続できないような特別なものは、ジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にあったのだと考えます。
まさしくこの考えはこのストーリーの本質なんじゃないかと思いました。
クララの中にも特別な何かがあったのでしょうか。気になります。
「わたしには最高の家で、ジョジーは最高の子です」という言葉にぎゅうっと胸が締め付けられてしまいました。
クララの心はあまりにも美しいのに、人間というものは勝手で残酷。。。
色々と考えさせられる作品でした。
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