『みかづき』森絵都

『みかづき』森絵都

昭和36年。

千葉県の小学校に勤めて3年の大島五郎は用務員室で放課後、勉強がわからないとう子どもたちに勉強を教えていました。

その中に蕗子という大人びた雰囲気で、勉強がわかっていそうなのに、なぜ来ているのだろうと思う少女がいましま。

蕗子の母、明子に偵察を頼まれ、吾郎の元に来ていたのでした。

子どもたちの知力を育てたいという夢を持つ千明に吾郎は見込まれ、当時はまだ珍しい学習塾を開くこととなります。

後に吾郎と千明は結婚し、娘も2人生まれます。

戦後のベビーブームや、高度経済成長の時代の波に乗り、塾は成長していきますが、様々な問題が起こります。

三世代に渡る登場人物達の子どもへの教育に対する、熱い思いや、人間性に惹かれ、引き込まれていくストーリーです。

 

 

吾郎が義母に蕗子に父親としてどうすべきか相談した時の義母の返答。

「どんな子であれ、親がすべきは一つよ。人生は生きる価値があるってことを、自分の人生をもって教えるだけ。」

 

千明が戦争時に父に言われた

「ぼくらは狂った時代にいる。あてになるのは自分自身の冷静な知性だけだが、今の教育は子どもたちからそれを取り上げようとしている。考える力を奪い、国の随意にあやつれるロボットを量産するための教育だ、みすみす自分を明け渡すんじゃないぞ、千明。考えろ。」

「自分の頭で考えつづけるんだ。」

という言葉。

考える力が弱い私なので、もっと小さい時から考えるクセというのがついていたらよかったと思うので、とても大切なことだなと強く共感しました。

 

蕗子が、夫を失い、幼い子ども達を連れて実家へ戻り、徐々に立ち直り始めていたときの

「時は流れる。朽ちる命と、育つ命と、そのすべてを一緒くたに呑み込んで。」

なんだか胸にグッとくるものがありました。

 

また、タイトルにもなっている「みかづき」。

「常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるかも知れない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない。」

 

印象に残る言葉が多くある、素晴らしい作品でした。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です