『アフガニスタンの診療所から』中村哲

中村哲さんは日本の医師で、アフガニスタンとパキスタンでハンセン病を中心とした貧民層の方々の診療に長年尽くされていました。

医師なのですが、干ばつが問題視されていたことから、井戸を掘り、用水路を作りたくさんの人々を救ったそうです。

2019年、アフガニスタンで車で移動中に武装勢力に襲われ、亡くなりました。

こちらの本は絶版となっていましたが、急逝に伴い復刊されたようで、現地での診療の様子が紹介されています。 

 

 

 

ハンセン病は主に末梢神経を侵すため、皮膚症状、感覚障害、運動麻痺が主症状となります。

進行すると、顔面に変形をきたし、運動麻痺をそのままにしておくと、手足が拘縮し、機能的な障害が起こり、元に戻らなくなってしまいます。

目が侵されると、角膜炎などを起こして失明にも繋がります。

感覚障害は、足の裏に怪我をしても気付けないため、穿孔を起こしてしまう合併症も引き起こします。

早期に治療をすれば、ほぼ完治しますが、一旦生じた神経障害は回復しずらいため、リハビリ、整形外科、形成外科、皮膚科、眼科、神経科、そして、生活していくために、ソーシャルワーカーなど様々な分野の人々の協力が必要となります。

ハンセン病は治せる感染症ですが、貧しい現地では、予算が厳しく、わずか数百円程度の薬が買えず亡くなる方も数知れないそうです。

内科や外科ならば、多くの医師が現地にいましたが、パキスタン全土で数万の患者を抱えながら全国で専従医師5名、外国人医師3名という状態だったそうです。

「現地のゆきとどかぬところを補い、地元がやりたくてもできないことを支えるのが協力というものである。」

「人のやりたがらぬことをなせ。人の嫌がる所へゆけ」というのが指針で、ハンセン病棟に力を注ぐことを決めたそうです。

ペシャワールのミッション病院にて活動をしていましたが、パキスタンにテメルガール診療所、アフガニスタンにダラエ・ヌール診療所を作ります。

ダラエ・ヌール診療所を作るにあたり、山脈に暮らす人が野蛮に思えると、現地出身の人以外が不満を持っていました。

チーム指揮者の医師も、もっと良い場所はたくさんあると意見していましたが、中村さんは、「かまわん。続けよう。だれもがおしよせる所なら我々が行く必要はない。だれもいかないから我々がゆくのだ。それに、スタッフ自身がアフガニスタンの住民に偏見を持つなら、この荒廃をもたらしたソ連や英米を避難する資格もない」と否定し、チームの士気を下げないようにすることにも配慮していたようです。

多くのスタッフは地元民に対して警戒をしていますが、診療所内での武器携行をいっさい禁止し、診療活動を行っていました。

しばらく経つと、地元民の笑顔を引き出すことができたそうです。さらには、住民が診療所のスタッフを必要としているため、防衛を行い協力してくれるようになったそうです。

難民問題、紛争などの大きな大きな問題と向き合いながら、現地の人々のことを第一に考え、長きに渡り活動されていたとこと知り、感銘を受けました。

また、国際協力・ボランティアとは?についても強く考えさせられました。



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